御朱印
〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 高館義経堂(たかだちぎけいどう)で 期間限定御朱印を授かりました。 和紙に金色で「源義経」、 銀色で義経の家紋「笹竜胆(ささりんどう)」の印が 記されています。 ね、かっこいいでしょ これがほしかったのよね(≧∀≦*)
*けいこ*+さんのブログ
〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜
平泉には歴史を感じる場所が随所にあり、
平泉高館もそのひとつ。
兄、源頼朝に追われ平泉に落ち延びた義経は、
奥州藤原四代藩主泰衡の急襲にあい、
この平泉高館で自害したとされています。
はかなく散った義経を偲んで
仙台第四代藩主伊達綱村が義経堂を建立しました。
本尊は木造の義経像。
写真に小さく映っているのが分るでしょうか。
「夏草や 兵共が 夢の跡」
松尾芭蕉がこの高館の地を訪れ読んだ俳句、
なんとも歴史ロマンを感じます。
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〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 高館義経堂(たかだちぎけいどう)で 期間限定御朱印を授かりました。 和紙に金色で「源義経」、 銀色で義経の家紋「笹竜胆(ささりんどう)」の印が 記されています。 ね、かっこいいでしょ これがほしかったのよね(≧∀≦*)
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〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜中尊寺から歩いて20分ほどのところに毛越寺があります。杉並木に囲まれた山の斜面にある中尊寺と違い、平地にある毛越寺には浄土庭園が広がっています。庭園の中心にある「大泉が池」と呼ばれる池、その深い緑に自然の奥深さを感じるようです。ここ毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、奥州藤原氏二代基衡公が造営に着手、三代秀衡公が完成させたとのこと。多くの伽藍が造営されたことから、当時、この地が日本最大規模の霊地だったというから驚きです。残念ながら、時代の流れの中で伽藍は消失してしまいましたが。。。写真は平成元年に再建された平安様式の本堂。ぴんとはった空気が伝わるでしょうか。
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源義経は1189年に衣川で首を撥ねられ31歳で生涯を閉じますが、義経を追って行こうとした静御前の墓が栗橋駅前にあります。
夏草や兵どもが夢の跡(=^・^=)義経はフビライハーンになったのかね
源範頼も義経同様にやられたね…同じ源氏でも頼朝の兄弟は認めないやり方は徹底してるかな…
義経があのまま生きていたらどんな鎌倉時代になったんだろう?と思います。
歴史にはミステリーが沢山ありますね♪
またまた歴史のロマンが感じられます。
はい、中に義経像のお顔が見えますね。いつかゆっくりと訪れ
てみたいです。
TKさんへ
静御前のお墓は埼玉県久喜市栗橋にあるとは知りませんでした。JR栗橋駅から10分ほどの場所にあるようですから、機会を見つけて訪ねてみたいですね。
Hさんへ
フビライハーンは元(蒙古=モンゴル)の皇帝のことですね。なんだか調べてみるといろんな言い伝えが。。。 歴史っておもしろーいっ!!
SNさんへ
源範頼は6月19日の大河ドラマで。。。 てっきり幽閉で生涯を終えると思っていたのにそうではなかったんですね。それにしても善児恐るべしです
タ〇さんへ
本当ですね。表舞台に現れずとも静御前と穏やかな日常を過ごしていたらいいな、なんてけいこは思ってしまいます。でも戦上手の義経だから、新しい鎌倉殿になっていたかな。
Eさんへ
高館義経堂は、義経が亡くなった衣川館の跡地に建てられたものなんですって。歴史ロマンですよね。この高台から見える眺めは北上川と美しい山々。鳥の鳴き声が響き渡っていましたよ。
Hさんへ 追伸
岩手県平泉町で死んだとされる義経は、難を逃れ北海道を経て大陸に渡ったという北行伝説が語り継がれ、チンギスハンと共通点が見られることから同一人物とされているんですね。