武田神社
「人は城、人は石垣、人は堀、 情けは味方、仇は敵なり」 武田信玄の言葉です。 様々な見解があるかと思いますが、 心をしっかり掴むと、 人は強い味方になってくれるが、 どれだけ城を立派に頑丈にしても、 人へ仇(あだ)となるような扱い、 振る舞いをすると敵となってしまう、 という意味のようです。 信玄は生涯、城を持つことはありませんでした。 それは甲斐の国の地形が影響したかもしれません。 しかし、強固な城を造るよりも 人の和こそ最大の武器なりと考えた信玄の思いが 城を必要なしと判断したのではないかと 歴史にロマンを夢見てしまいそうです。
おはよう御座います、信長りんと
家康君は好敵手→→→その後念願
叶って確か家康君は征夷大将軍に
成ります??寿命も戦国時代では、長
い、アッパレ(=^ェ^=)(=^ェ^=)にゃ〜
山門に佇む黒髪の美女(=^・^=)美女のすべてをしりたい
身体を滅却すれば…ですね〜塩山向嶽寺も好きなお寺です!
この前この寺の西の道通ったよー
峡東地域に入りましたね。
この辺は市町村合併で変わりましたね。
昔の市町村名の標識が残っているので、じっくり見ると面白いですよ。
甲州市、甲府市、甲斐市とか、県内の人でも悩むことがあるそうな。
けいこちゃんの説明だけでもすごく魅力的なお寺で、
見に行きたいと思いました。
庭園が綺麗で癒されるみたいですね。
これから武田信玄めぐりかな
おはようございます
江戸時代の平均寿命は35〜40歳のようだから、家康が享年75歳というのは、相当すごいです。漢方を自分で調合していたというから、勉強家でもあったのかもね。
Hさんへ
けいこは写真を撮るのが好き。寺院の作りは似ているようで個性があるから、そこをうまくおさえてカメラに収めるのがすきなの。なのに、けいこが撮られちゃったよ〜。
SNちゃんへ
「塩山向嶽寺(えんざんこうがくじ)」はどんなとこだろうとググってみましたよ。富士山への畏敬の念から建造物が富士山を正面に建っているそう。なかなかの寺院ですね。
MYNさんへ
な、なんと! この辺りを通りましたか〜。では、けいこのブログの写真を見て、懐かしさに浸ってもらえたら嬉しいです♪ にしても、この辺り、道狭く感じませんでしたか(@_@;)
19さんへ
初めての山梨県を訪れています。しらないことばかりで、地図を見ながら右左。標識のことは、気づかなかったなぁ。よかったら、もっと教えてくださーい。
Kさんへ
そうなの、庭園がすごくよくてね、国の名勝指定を受けている本堂の裏側にある庭園はもちろん、境内のあちらこちらに木や石の組み合わせで魅せる空間もオススメかな。
KMNYさんへ
大河ドラマ「どうする家康」を見てから武田信玄が気になって、とうとう来ちゃいました。この恵林寺境内には宝物館があって、そこにはかの有名な「風林火山」の旗もあるんですよ。
残念ながら「信玄」は天下人にはなれませんでしたが、アノ技法は多くの戦国武将に影響を与えていますね♪だからこそ後世の偉人からも大切にされるのでしょうね。
タ〇さんへ
風のようにすばやく動き、林のように静かに構え、火のごとく激しく攻め奪い、山のようにどっしり構える、戦いにおける四つの心構えを風林火山に込められています。信玄は歴史に深く名前を残しましたね。