姉川古戦場 〜浅井長政を訪ねて〜
浅井長政・浅倉景健の連合軍と織田信長・徳川家康の連合軍が滋賀県長浜市を流れる姉川の両岸に布陣し合戦が繰り広げられたのは今から450年ほど前のこと。 ここは姉川にかかる橋。老朽化に伴い渡ることができなくなりました。通行止めとなった橋の向こうに強者どもの夢の跡が見えるようです。
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小谷城跡の麓にある浅井三代の菩提寺を訪ねました。
小谷城築城500年に合わせ
御本尊である如意輪観音様の御開帳をしており
ありがいことに拝観することができましたよ。
そのお顔の穏やかなこと、
心が癒されるようでしたね。
頬づえをつく様子は、長い腕が特徴的なのですが、
長い手により民の苦しみを救ってくれるそうです。
住職によるお話はとてもためになりました。
ゆっくり、じっくり訪ねるのもいいものですね。
さて、この小谷寺ですが、
当時、小谷城内にありました。
落城時に本尊を除き焼かれてしまいましたが
豊臣秀吉によって現在地に再建され、
その後徳川家康により援護されたと伝わっています。
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浅井長政・浅倉景健の連合軍と織田信長・徳川家康の連合軍が滋賀県長浜市を流れる姉川の両岸に布陣し合戦が繰り広げられたのは今から450年ほど前のこと。 ここは姉川にかかる橋。老朽化に伴い渡ることができなくなりました。通行止めとなった橋の向こうに強者どもの夢の跡が見えるようです。
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小谷城(おだにじょう)は 戦国大名である浅井長政(あざいながまさ) の祖父亮政が築城しました。 国指定の城であり、日本五大山城のひとつです。 地形を巧に利用したこの山城を落城させるのに、 織田信長は三年もの月日を費やしました。 そして、浅井長政の自刃により落城。 この戦の先陣をきり落城攻略に努めた 羽柴秀吉が拝領します。 城に火が放たれず状態がよかったことや、 攻めにくい城であることを鑑み 秀吉がこの山城に入城したことが伝わっています。 秀吉が城持ち大名となった、初めてのお城です。 のちに、秀吉は長浜へ城を築くのですが 築城にあたり、ここの岩が運ばれたそう。 また、信長の城にも使われたとか。 今では石垣がわずかに残り 当時を忍ばせます。
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厳かな佇まい、心落ち着く雰囲気。
人々は安寧を願い、幸せを祈る菩提寺として奉っていたのでしょうね。
やはりスズキ欄のスクーターに
拘る拘る(=^ェ^=)にゃ〜
亡き敵方の菩提を弔って寺社を建てる慣習は日本人だけかな…お市の方をはじめ娘が為政者に嫁いだからかな?って思います。親戚関係の義理がなければないかな…敵ながらあっぱれ感で親戚でなくても建てるかな?
けいこちゃんの(=^・^=)御開帳 観音様を拝みたいものです 落城しないとね難攻不落
浅井長政「あさい」ではなく「あざい」なんですよね。
活字だけで見ていた時は知らなかったのですが、戦国鍋TVで知りました。
小谷城「おだにじょう」
長野県小谷村「おたりむら」
漢字の読みは奥深いです。
お互いに史跡神社仏閣好きだから
もしかしてどこかではちあわせの可能性も・ハラハラドキドキしますね!
KTNさんへ
戦国の時代だからこそ、神仏にすがりたくなるのも分かる気がします。いえ、安寧の世を願うのは今も変わらないかなq(^-^q)
小谷寺をゆっくり訪ねて浅井家を知れてよかったですね。
近くには長政や浅井三姉妹の原点があり、まだまだ楽しんでね
私も近くに住んでるので1度訪れてみたいと思ってましたよー
Mさんへ
スクーターっていいですよね。足をそろえてちょこんと乗っているアノ感じ。そして、ギアを回せばスイスーイって進むんだもん。隣のおウチの奥さんもスクーターを乗っています。ちょっとうらやましい。。。昔乗った蘭ちゃんが懐かしいよ(*´ω`*)
SNさへ
おぉぉぉぉぉ、深い読みですね。んーーーーーーーー、けいこは嫁いだから菩提寺を建てたように思うな。でもな、でもな、家康は「長政が好きだーーーーー!!!!」って言っていたしな。迷うーーーーーーっ。
Hさんへ
けいこ城は、なかなか落ちないですよぉww なあんて、自分で言っちゃったぁ(笑)
1さんへ
小谷村「おたりむら」、知らなかったなぁ。地名は独特の読み方がありますよね。勉強になります。最近ではきらきらネームの読み方が当たらなすぎて困っています(笑)
Sさんへ
興味があるところ、感性が似ているのかな。今度御朱印帳にある神社を見せ合いっこしませんか。もしかしたら、同じ寺院のハンコをもっているかもしれませんね。
Kさんへ
えっ、近くに住んでいるんですか?? ではこれから紹介するところは知ったところかもしれませんね。散策する前に、このあたりの情報、教えてもらうんだつたな。