*けいこ*+さんが投稿しているブログの「新着」一覧ページです。 *けいこ*+さんが書いたブログに「いいね」やコメントを残してコミュニケーションの幅を広げてみましょう♪
〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 埼玉県比企郡滑川町にやって来ました。 ここ三門館跡は、源頼朝の父である義朝に仕えた比企遠宗の館跡とする説があります。比企遠宗とは比企一族の祖といわれる人物で、頼朝が産まれた際に妻の比企尼とともに乳母夫になった人物です。 比企遠宗の死後、男子がいなかった比企尼が甥である比企能員を養子に迎え、比企家の当主にしています。比企能員は、頼朝の側近として仕え、妻は2代将軍頼家の乳母になることから母子2代に渡り乳母を務める功績をあげます。娘である若狭の局は頼家の妻となり一幡を産むことで、比企家は将軍家の外戚として権力を振るうことになりました。そのせいもあって、北条家と対立が深まり、比企能員の乱で滅ぼされてしまいます。 ここ三門館跡は、現在堀と土塁しか残されていません。将軍家と深い関わりがあったにも関わらず、比企家が滅亡されたせいだとしたら、残念な気がしますね。
2022/10/19 06:11
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〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 畠山氏は、桓武平氏の流れをくむ秩父平氏の一族で、平氏全盛期に重忠は産まれています。20年以上平氏に仕えていた畠山氏ではありましたが、石橋山の合戦後、安房で再起した頼朝に従うことを決意した重忠は、頼朝の父より重忠の四代前の先祖である秩父武綱(当時は源氏)が授かった白旗を掲げながら頼朝の前に現れ源氏方へ帰順することを願い出たといいます。 源氏から平氏へ、そして源氏へ。ゆるぎない信念のもと主を変えることもいとわない強さが重忠の強さを感じさせます。 畠山重忠の死後、奥方であるちえは足利義純と再婚します。義純が畠山姓を名乗ることにより名跡を残すことができました。また、重忠の娘が島津氏に嫁いだことにより畠山氏の血流は現代に続いていくのです。
2022/10/14 05:16
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〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 菅谷館とは、菅谷城のことであり 畠山重忠の居館と伝えられています。 本郭を取り囲むように郭が配置、 各郭は深い空掘と高い土塁で囲まれ 簡単には攻め込めない造りになっています。 続日本百名城にも選ばれている菅谷館、 その広さ、東京ドームの3倍というから 驚きですね。
2022/10/07 05:10
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〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 比企郡嵐山にやってきました。 城跡の一画に建てられたこの博物館では 埼玉県の平安時代から鎌倉時代までを 知ることができます。 中でも畠山重忠公ロボによる音声ガイドが見もの。 朱糸を基調にした鎧にまとった重忠公は 自身の生涯を語ります。 太く重みのあるその声は 比企郡出身の声優さんが演じているとか。 なんだか地元愛を感じてしまいますね。
2022/10/01 22:24
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〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 白田山観音院満福寺にやってきました。 ね、見てください。 写真右側にあるお寺の名前が書かれている石碑、 「畠山満福寺」に見えませんか? 「白」と「田」が「畠」に見えてしかたないんです。 むむ、私だけかなぁ? ここ満福寺は畠山重忠が再興し、 菩提寺としたと伝えられています。 境内には畠山重忠廟の石碑。 石の趣から、歳月の流れを感じます。
2022/09/27 05:37
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〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 埼玉県深谷市にきました。 写真は「畠山重忠像」。 一ノ谷の戦いでの 「鵯越(ひよどりごえ)の逆落し」の場面で、 愛馬「三日月」を背負って崖を下った重忠の雄姿を 表したものです。 なんとも力強くもたくましい姿が見てとれます。 武蔵武士の鑑と称された畠山重忠、 その史跡を訪ねます。 さぁ、あなたもご一緒に♪
2022/09/22 06:17
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商店街の一角には写真館。「南三陸の記憶」とあります。入場料を払って中へ入るとあの日の津波の瞬間が街が燃える様子がまるで時間を切り取られたかのようにありました。頬をつたう涙は、それらが現実にあったことであることを知っています。「ともに前へ」そう、私たちはこの言葉に勇気づけられ前に進んできました。あれから11年。。。
2022/09/12 23:15
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南三陸志津川さんさん商店街にやってきました ここ志津川は東日本大震災で 大変な被害を受けた場所です それでも復興を願い 地域の思いがこの地に集結しました あるときは復興のシンボルとして そして震災を風化させないために さんさん商店街はあるように思います
2022/09/08 12:27
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聞こえるのは 松林に響き渡るせみの声。 まるで時間が止まったかのようです。
2022/09/01 06:18
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少し前の話ですが みなとまつりへ行ってきました。 毎年「海の日」に行われるこのお祭りは 日本三大船祭りの一つ。 海上の安全と大漁を祈願します。 塩竈神社と志波彦神社の神輿二基が 御座船「龍鳳丸」と「鳳凰丸」に奉安され 百隻もの御供船を従えながら 松島湾内を巡幸する姿は まさに圧巻です!
2022/08/26 00:54
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*けいこ*+
♪ 僕らの夏の夢 〜サマーウォーズ〜 あの丘の向こうに 僕らの夏がある 変わらないもの 美しいもの すべてそこにある 太陽の行方を 向日葵が追いかける 風の音さえ 聞こえないほど 僕らは見つめ合う 心と心を重ねて 光の滴で満たして 手と手を固く結んだら 小さな奇跡が生まれる 信じて欲しいんだ 未来が見えるんだ 君の暗に 空の碧さが 映るそのたびに 零戦が空を飛ぶ はるかな時代から 僕らがここで 出会えることも きっと決まってた 幾千の愛の記憶を 僕らは辿って行こうよ とこしえに君を守るよ 僕らの歴史が始まる Oh 運命が ここから どこへと 向かおうと 雲に描いた 白い約束 決して忘れない 心と心を重ねて 僕らは夏の夢を見る 手と手を固く結んだら 小さな奇跡が生まれる 僕らの奇跡が生まれる 真夏の奇跡が… 歌/山下達郎
2022/08/21 03:18
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*けいこ*+
祖先の霊の冥福を祈るあんどん祭、 夜空に輝く花火と あんどんの優しい灯が 夏の風情を感じさせます。
2022/08/17 06:21
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*けいこ*+
東北新幹線開業40周年を記念し、 開業当時走行していた200系を再現した新幹線が 運行しています。 形こそ、最新モデルのままですが、 この色合い、たまりませんヾ(≧▽≦)ノ つい、入場券を握りしめ見に行ってしまいましたw ホームには、昔を偲んでか高齢の方が多いことにびっくりです。 みなさん車両を背に記念写真☆彡 200系と一緒に写りたいんですよね。 この200系に乗って旅行したあの頃、あの時と同じように つい年甲斐もなくピースしてしまう、 みんな童心にいや青春時代に戻っているんでしょうね。 その気持ち、すご〜くわかります (≧◇≦) けいこも、ハイポーズw 今度はこの新幹線に乗って 旅行にいくぞっ!
2022/08/12 21:17
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*けいこ*+
今日は「健康ハートの日」。8月10日の810をハートと読めることから日本心臓財団が定めたんですって。初めて知っちゃった (*´ω`)毎日休みなく働いている心臓を思いやり健康について考えてみませんかって生活習慣の改善を中心とした心臓病予防啓発が各地で行われているようです。けいこが一役買うならばなにができるかなって考えてみました。身も心も健康でなければ、本当の健康ではないものね心の臓(心臓)にはなにもできないけれど心を癒す、お・も・て・な・し であれば。。。 (*ノωノ)えっ心だけ? って思った??もぅ、へんな想像しちゃいやよ (≧▽≦)それではこの襖の向こうでお待ちしています。。。
2022/08/11 00:19
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*けいこ*+
〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 石碑には、舞の名手と言われた静御前の姿や、 義経を想って詠んだ歌が刻まれています。 「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」 「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」 境内には、義経と、生まれてすぐに 鎌倉の海に流された静御前と義経の子の 慰霊塔が建てられています。 今頃仲むつまじく暮らしているでしょうか。
2022/08/03 06:50
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*けいこ*+
〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 源義経と恋におちた静御前。 その最期には様々な言い伝えがありますが、 そのひとつに久喜市栗橋の地があげられます。 源頼朝に追われ奥州へと逃れた義経を追って 静御前は栗橋に立ち寄ります。 この地で義経の討死を知らされた静御前は 義経の死をひどく悲しみ 出家を決意するも旅の疲れや悲しみのあまり 22歳の若さで亡くなったのだそうです。 早すぎる死に、はかない恋の行方を 感じずにはいられません。
2022/07/28 06:08
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*けいこ*+
忍城の門前に花手水。そのかわいさに、つい触れてみたくなります。秩父鉄道行田市駅前から続く八幡通りが花手水ストリート。お店の軒先に、思いおもいの花手水が飾られています。「花手水week散策マップ」を片手に花めぐりをするのも楽しいですね。
2022/07/24 00:20
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*けいこ*+
映画「のぼうの城」は知っていますか?なんと、ここが舞台なんですって。実は私、この地に来るまで知らなくて博物館を訪ねて知りました。室町時代に築城された忍城は、関東七名城のひとつに数えられるそうです。確かに復元された「御三階櫓」でさえも見ごたえありますよね。ところで、この忍城、あの豊臣秀吉が落とせなかった難攻不落の城として語り継がれています。実際に攻撃をしかけた石田三成による水攻めにも屈しず、成田長親の奇策によって落城を免れ、水に浮かぶ城、浮き城と呼ばれるようになったといいますから当時の城の光景はよほどのモノだったのでしょう。さて、櫓の最上階から行田市を一望しましょうか。
2022/07/19 20:24
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*けいこ*+
国登録有形文化財であるこの建物は昭和9年に建築されました。彫りの深い近代復興式の鉄筋コンクリート2階建ての本格銀行建築。外壁は当時流行のスクラッチタイル貼りで繊細な装飾、格子の入った縦長の窓、その上につけられたレリーフの入った円形の羽目板が特徴的です。モダンでなかなか素敵でしょ♪歴史ある建物を見て歩くのも旅ならではの醍醐味です。
2022/07/16 08:16
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*けいこ*+
ここは行田市。 熊谷駅から車で移動してきました (*´▽`*) 見てみて! 蓮(はす)がいっぱい咲いているでしょ♪ 蓮は朝咲いて、お昼には花が閉じてしまうから 今朝は早起きしたの ヾ(≧▽≦)ノ ほのかな香りに包まれながら 記念にパチリ。 さ、どんなふうに撮れたか 写真、みたい? (^_-)-☆
2022/07/13 19:28
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*けいこ*+
暑い町として知られるココ、埼玉県熊谷市。 夏には40℃近い最高気温をたたきだします。 いやぁ〜、暑い暑い ( ´Д`)=3 駅をでると、熊谷直実(くまがいなおざね)の銅像。 平安末期から鎌倉時代初期に活躍した武将です。 当初は平家に仕えていましたが、 石橋山の戦い以降、源頼朝の御家人となり、 数々の戦さで名を上げ、鎌倉幕府成立に貢献しています。 一ノ谷の戦いでは、平家の若武者、平敦盛を打ち取りますが、 息子ほどの年齢の若者の命を奪ったことにより 戦の無情さや世の無常観を感じ、 これが後の出家の動機となったといわれています。 この時のことは「平家物語」の中に描かれ、 能や歌舞伎でも熊谷直実の無常観として上演されているそう。 なんだか、わくわくしてきちゃったな(´∀`*) 新しい発見にも期待しながら小旅行の始まりです。 さ、ご一緒に出発です ヽ(^○^)ノ
2022/07/10 07:45
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短冊に書く願い ひとつに決められなくて ずっと悩んでた やっと書いた短冊 願いを見られたくなくて こそっと笹の葉につけたっけ なに書いたの? のぞきこむ君に ひみつ〜なんて隠したね 願い事は覚えてる 月日は流れ 君と逢うことはなくなったのに 思い出だけがこぼれてる
2022/07/07 06:20
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足音を忍ばせて 小川のそばにやってきました あ、みいつけたっ
2022/07/02 16:45
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転車台、見たことありますか? 転車台とは方向転換をさせる台のことをいいます。 始点・終点のそれぞれに転車台があり 常にSLが先頭車輌になるように しているのです。 その転車台を見にきました。 SLが回転する様子は、 なかなかの見ごたえがあります。 そして、この汽笛、この煙の感じ、 たまらないですねぇ〜 つい見入ってしまいました (´ー`).。*・゚゚
2022/06/29 05:57
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色とりどりのバラが 咲いています 燃えるような赤 レモン色の黄 品のある華やかなバラたちに うっとり。。。
2022/06/25 00:38
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〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 高館義経堂(たかだちぎけいどう)で 期間限定御朱印を授かりました。 和紙に金色で「源義経」、 銀色で義経の家紋「笹竜胆(ささりんどう)」の印が 記されています。 ね、かっこいいでしょ これがほしかったのよね(≧∀≦*)
2022/06/21 12:20
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〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 平泉には歴史を感じる場所が随所にあり、 平泉高館もそのひとつ。 兄、源頼朝に追われ平泉に落ち延びた義経は、 奥州藤原四代藩主泰衡の急襲にあい、 この平泉高館で自害したとされています。 はかなく散った義経を偲んで 仙台第四代藩主伊達綱村が義経堂を建立しました。 本尊は木造の義経像。 写真に小さく映っているのが分るでしょうか。 「夏草や 兵共が 夢の跡」 松尾芭蕉がこの高館の地を訪れ読んだ俳句、 なんとも歴史ロマンを感じます。
2022/06/17 22:35
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〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜中尊寺から歩いて20分ほどのところに毛越寺があります。杉並木に囲まれた山の斜面にある中尊寺と違い、平地にある毛越寺には浄土庭園が広がっています。庭園の中心にある「大泉が池」と呼ばれる池、その深い緑に自然の奥深さを感じるようです。ここ毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、奥州藤原氏二代基衡公が造営に着手、三代秀衡公が完成させたとのこと。多くの伽藍が造営されたことから、当時、この地が日本最大規模の霊地だったというから驚きです。残念ながら、時代の流れの中で伽藍は消失してしまいましたが。。。写真は平成元年に再建された平安様式の本堂。ぴんとはった空気が伝わるでしょうか。
2022/06/09 20:54
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〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 杉並木の向こうに見えるのは金色堂覆堂。 あの中に、国宝に指定されている金色堂があります。 1124年、奥州藤原氏初代藤原清衡が金色堂を建立しました。 平安時代の浄土教建築の技術を集め、 金や宝石、鍍金銀の宝相華透彫金具などで施された柱や壁面には 時代を感じさせないほどの美しさがありました。 堂内には何体もの仏像が納められています。 温かく微笑んでいるように見えたり 悲しみに震えているように見えるのは気のせいかな。 そういえば、 見る人の心模様で仏像の表情が醸し出されると 聞いたことがあったっけ。。。 この平泉の地で起きたことに思いを馳せ、 さて、次に向かうは毛越寺
2022/06/07 21:35
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〜鎌倉殿の13人ゆかりの地を訪ねて〜 静かな境内には太鼓や笛が響き、能を舞っています 誰もが静かに演者をみつめ、 舞から伝わるものに酔いしれているようです 中尊寺は850年、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれました。 その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって 大規模な堂塔の造営が行われます。清衡公の中尊寺建立の趣旨は、 11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった 生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、 「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、 仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設する、というものでした。 〜中尊寺HPより〜
2022/06/06 06:16
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